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プラハの夏  投稿者: 布施院  投稿日: 6月 5日(日)19時42分35秒
チェコのアコーディオンメーカーを訪問して、会談が予定より早く終わったため、日が暮れる前に50kmの道のりを高速を飛ばしてプラハの街を散策しに出かけました。 プラハの夏はすがすがしい空気に包まれていましたが、あふれかえる観光客でごった返していました。 私が始めてプラハを訪れたのは1970年、プラハの春をソ連軍の戦車が無残に蹂躙した翌年ぐらいでした。当時はまだ銃弾の後が建物のそここに生々しく残り、人々もそれから長く続くであろう自由の無い、つらい時代を覚悟するかのように無言で、街も暗く沈んでいて、私も胸が締め付けられる思いでした。 35年ぶりにおとずれたプラハは見事に立ち直り、街は老若男女であふれ、観光客もわんさかきて、商店も活気があるように見えました。 当時は人影もまばらでいるとすればヤミ両替屋程度しかいなかった名物のカレル橋も今日はあふれんばかりの観光客と物売りで名物の橋の欄干の彫刻やカフカの小説のモデルにもなった城が見えないほどでした。
ナチの台頭や迫り来る迫害の不安をすばやく感じ取ったカフカの名作「城」や「変身」は彼がユダヤ人だったことが大きいが、このプラハという街のかもし出す雰囲気も一役買っているような気がします。 ベルリンでも感じたことですが、この平和が長く続くことを祈りたいと思います。 もしかして、今は、一部で戦争は続行しているものの、欧米、日本などにとっては第2のベルエポックとでも呼べる時代なのではないかと思えます。 日本の失業、経済不振、政治の空白、中国や北朝鮮の脅威などにいたずらに目をつぶることは避けたいが、過去の戦争や食糧難、疫病、建国への軋轢、などに比べれば今はすばらしい時代なんだな、としみじみ思えます。 当時のベルエポックが世界恐慌と、2つの大戦の間のごくわずかな時代で、なおかつ不安定な要素を内包していたことを考え合わせるとき、今の時代は、一部の戦闘地域を除き、いい時代であるといっていいのだと思います。もちろん、究極のいい時代とはお世辞にも言えませんが。 トーマスマンがベニスに酔ったごとく、今日は私はプラハに酔ってしまいました。 プラハの街を徘徊するうちに、この街の持つ魅力にどんどんひきつけられていく自分を感じます。 ホテルに帰って飲んだチェコビールがこれまた絶品、それもそのはず、かのPilsner Urquell。 ビールにも心ごと酔ってしまいました。 


祭りのはしご?  投稿者: 布施院  投稿日: 6月 5日(日)19時36分42秒
カジッタさんの祭り好きは世界的に有名(?)ですが、まさか町屋の29日のお祭りに続いて4日の三河島の祭りまで参加とは! 僕も生まれ育った南千住でスサノウ神社の御神輿はみてきましたが、同じように左右によくもんでいたことを思い出しました。でも、そこまでやるのっていうくらいにもんでますね! すごい! 何の意味があるか良くわからないのですが、ここまで情熱をもって御神輿をもむということがなにかすごいことのように思える。 外人には多分わからんでしょう。 ぼくも実は良くわからないのですが、なんとなく、ひとつのことにみんなが力をあわせてがんばるところが感動するのではないかなぁ、という気がしております。 そして、そのともに味わう苦労のあとの疲労感と開放感の共有、これが人をひとつにまとめる、ゲゼルシャフトではなくゲマインシャフトが、SocietyではなくCommunityが機能し始める。 下町の良さは大都会化し、仮面社会化することを拒否し、村としての、人が人であることができる最大限度の単位は町、あるいは丁目、あるいは長屋なのだと教えてくれる。 僕らの忍岡54期生はバーチャル・ゲマインシャフト、仮想長屋なのだと思いたい。

お祭り  投稿者: 3年B組課長  投稿日: 6月 5日(日)18時57分58秒
昨日、カジッタさんからお誘いのありました、三河島連神輿振りを見ました。担ぐのではなく、左右に限界まで倒すというもので、倒すため横棒がなく、縦に2本あるだけです。通常の神輿とはまったくリズムが異なった、珍しいものでした。子供の頃から変わらぬ、わくわくとしたお祭り気分を、味わう事ができました。忍同期から観客として、稲チャン、大塚さん、キッコさん、清水さん、藤生君が参加されました。下記アドレスの三河島神輿振りをご参照ください。ではまた、

http://photos.yahoo.co.jp/n3c787n2


(無題)  投稿者: ぴーたーN  投稿日: 6月 1日(水)23時00分3秒
>タバコが悪いのではない・・・との慰め、感謝ですが意志薄弱そのもの。
極端にいえば毎朝、「やめようか」と思いつつの、ここ10年。
この歳になれば、鏡の顔は正直、のってる時、そうでない時、一目でわかります。
理想と超現実との狭間、男の矜持も投げ捨てたくなる時もあります。
帰り道、思わず夜空を眺める、何億年と変らず北斗七星が天空にあり。

何を成し遂げたんだろ。これまで。
何を残して死ぬのだろ。これから。

テレビ通販の昔のアイドルたち  投稿者: 布施院  投稿日: 5月31日(火)14時52分4秒
ピーターNさんの指摘のとおり、テレビ通販に登場する昔のアイドルや、歌手、スターを見ると、久しぶりに目にする懐かしさのようなものと同時に、残酷な表現ですがなにかさびしさを感じますね。 彼らにも生活があり、収入は必要ですので、年齢相応の、というか、年ととっても、ヒットは最近出て無くても、地方のキャバレー回りも含めてなんらかの仕事はしないといけない。 それは大衆芸能を職業としてしまった人の宿命のようなものでしょうか。 特に、若さの持つ魅力だけで売れてしまったアイドルとか、一発ヒットその後ノーヒットの歌手とかはその後の人生がつらいようですね。今回ドイツにきてレンタカーのラジオから流れていた対談は「99個のルフトバルーン」で一時日本でもはやったNina(だったかな?ほらもう忘れている!)で、彼女も一発ヒット、いつでも「ルフトバルーン(風船)」しか歌わせてもらえず、その後ノーヒットで結局自暴自棄になり、ドラッグに手をだし、拒食症になり、世間からほとんで忘れかけられて、苦しみぬいた後、やっと自分を取り戻し、子育て、庭弄りのなかに人生を再発見しているという血みどろの人生の告白があったのを思い出しました。 マリリンモンロー(がなぜ死んだのかなぞは残るが)、エルビス、ジェームス・ディーン、ジョン・レノン桜の花の散るごとく、花の盛りに散ってしまったのはかわいそうで、もっと長生きして楽しませてほしかったけど、花の盛りに散ってしまったからこそ永遠にそのイメージが残る。 桜と菊の違いは盛りに散るか、かれて老醜をさらすかだ、というのはあくまで観る側の人間の論理であって、咲いてる花は誰も与えられた生を生きているに過ぎないのだが、日本ならさしづめ原節子さんがその後一切のマスコミへの登場を拒み続けて生きているというのもその残酷な大衆に自分の人生を食い散らかされたくないという恐れのようなものからきているのかも知れないと思うと、そのスター達の壊れ易い心をそっとしておいて上げたい気持ちにもなります。 人は年を取るものです。 とはいえ、石っころや、ガラクタを詐欺師まがいに誇張宣伝して販売する業者の手先に成り下がって老醜をさらすことはねぇだろうと感じてしまう私も確かにいるなぁ。 
ところで、鏡に移る自分の姿のなかに落ちぶれた昔の青年はいないだろうか。 ダイエット半ばにしてダイエット破りをすること幾たびか。 頭をたれて反省すべきは私なのだな。 昨日はミュンヘンのギリシャ料理屋で久しぶりにブズキの音色を聞きながら、オリーブオイル、にんにくたっぷりのギリシャ料理に松脂入りワインをたらふく飲んでまたダイエット破りをしてしまった。 あ、ちょっと話題が関係ないですね。 でも反省とは行動して本当の反省だそうで、まだまだ反省が足りません。 この禁を犯して飲み食いすること、これは快感か。 人生は短いとかいって、つい手をだしてしまう自分に優しい気分にしているのは松脂入りワインのせいです。 ピーターNさん、禁煙破りの気分よーくわかります。 タバコが悪いのです。 あなたではありません。 あ、話題がどんどんずれていく。 多分、松脂入りワインがまだ残っているせいです。

崩壊したブランデンブルグ門  投稿者: 布施院  投稿日: 5月29日(日)14時38分11秒
崩壊したベルリンのブランデンブルグ門の前に呆然とたたずむ布施院。 実は本物のブランデンブルグ門の前に作られたDisplay。ただ、当時の壮絶な景色が目の前に実寸で広がるさまには圧倒される。 夏日を迎えて人々が道に張り出したレストランに一杯にあふれて楽しそうに夕食をとったり、おしゃべりに興じたりしている今のベルリンを見るにつけてそのギャップ、その現実、その歴史に、今はすばらしい時代なのだとつくづく思います。 現実にはまだまだ失業者も多く、苦労の続くドイツ、ベルリンですが、この国、この町が経験した歴史を振り返るとき、今の苦労はやりがいのある苦労のように思えます。むしろ、この余裕、この楽しみ方、この時間、振り替えてわれわれ日本人にあるだろうか? 無いのではないだろうか。

珍品「大丈夫だ石」  投稿者: ぴーたーN  投稿日: 5月28日(土)22時11分19秒
ジャカランダさん こんな海辺で波音だけ聞きながら、読みたかった本を片っ端から読み、うまい魚を喰い(この時、オリーブ油だとか、トマトソースとか余計なものやめてくれ。醤油とワサビだけくれ〜)潮騒の音が眠気を誘い、気がつけば茜色の海にでっかい夕日が沈む。365日こういう生活は極楽なのか退屈なのか、1ヶ月はやってみたいな。


閑話休題。馬鹿馬鹿しいけれど夜中の通販テレショップが好きです。決して買わない。、しばらく見かけない、忘れかけたタレント、歌手が、小遣いかせぎの内職している。
(おっ 老けたなー)
「高いんでしょうねー!」「これだけ、つけて19,800円でのご奉仕です!」パチパチ。
定番のセリフ、へたな芝居がかったやりとり、会場内のおばさん達のクサい相槌。
「わっ、安い!」と見合す顔と顔。

時々、通販で傑作を見ます。これはテレショップでなかった。新聞広告で見つけた
最近の傑作は・・「大丈夫だ石」
キャッチコピーがふるっているし、この手の商品を考えた人の発想に関心し
商品化を考えた人に会ってみたいと思わせる笑える商品です。

「大丈夫だ石(せき)」・・皆さん、仕事で家庭で、どうしようもなく不安の場面って
ありますね。そんな時、この石ころ(ただの石ころ、でも真ん中あたりに、
親指大のくぼみがある。ポケットの中にこれを、しのばせ「大丈夫だ、大丈夫だ」
と心の中で唱え親指をくぼみに当てこの石ころをギュッと握り締める・・
すると、「アラ不思議 スーッと心が安らぎ、何とかなるわいと少々、自信が湧い
てくる」というフレコミの代物です。これが確か3000円。

ネーミングがいい。価格がいい。サイズがいい。背広のポケットにも入る。
こわれない。ギュと握り締めると冷たい感触が気持よさそうだ。
ついでに飲み屋の姐さんとの話題にも使える。買ってみようかな。3000円。
布施院さん 大事な商談の前に「大丈夫だ石」ひとつどうです。
よければ私も買います。

投稿写真の達人  投稿者: 布施院  投稿日: 5月23日(月)22時52分1秒
さくらこさま〜! ♪誕生祝のお言葉ありがとうございま〜す♪(^O^)/~
投稿写真もばっちりきまってお見事! さて、ジャカランダさんも早速投稿写真をマスターして、達人の仲間入り! お二人とも今後もどんどん写真投稿をお願いします。写真投稿をまだ試されてない方、実はとっても簡単ですよ! 是非お試しください。お待ちしております。

Hawaii-Oahu  投稿者: ジャカランダ  投稿日: 5月23日(月)19時13分17秒
調子に乗ってもう一枚。これはオアフ島の東海岸。いや北海岸に近かったかな?車から走行中にとったもの。 小さな島で、地図にある地名が、5分ごとに走り過ぎてしまう感じでした。途中、えびの養殖場(どろのみずだまりのようでした)があり。小さな、民家があり、その合間にちらちらとみえる、この真っ青な海。ホテルなど立ち並ぶので無く田舎の風景でした。日曜日でしたので、釣りやキャンピングをしている現地の人もいました。

(無題)  投稿者: ジャカランダ  投稿日: 5月23日(月)18時34分34秒
ご指示のとうり写真一枚えらびましたが、うつるかな?